元剣士が新撰組を語る!人物編!新撰組生みの親、「局長近藤勇」について!

こんばんは!元剣士の森川です!
さて、やって参りました!趣味も兼ねた新撰組特集!
望む、望まざる、関係なく・・・やりきります(゜o゜)ドヤ
いや、興味を持って欲しいのですよ、新撰組に!
これほどまで短命で、インパクトを残した団体は日本の歴史上でも
類を見ませんからね!
まあ・・私が好きなんですよ 笑
「生みの親」近藤勇について!
ただ、詳細を細々書いていってもそれは単なる歴史の勉強、本で学べば良い事
ですので、なるべく自分の言葉で、ざっくばらんに書いて行こうかと思います!
深く知りたくなったら・・ようこそ、こちら側へという感じです 笑
では今回は新撰組の立ち上げ人、近藤勇についてのあれこれを!
先ず、名前の勇なんですが、これ実は「いさむ」ではなく「いさみ」なんですね。
生まれは東京!現在の調布市あたりです。都会っ子!
かと思われるでしょうが、当時の調布辺りには上石原村という農業中心の場所があり、
近藤も例外無く農家の生まれだったんですね。
農家の出が、新撰組を率いた。これだけで思うところはありますね。
そして、近藤と言えば「天然理心流」の使い手!
これにはきちんと経緯があり、それを少し書きますね!
近藤勇が養子に行った経緯
近藤は農家の宮川久次郎の三男として育てられますが、その剣術や聡明さは村の噂に
留まらず、天然理心流三代目近藤周斎に惚れこまれ、15の時に彼の養子に向かうのです。
ここが大きな人生の転機だったんでしょうね。
以来、26歳で天然理心流四代目(若い)!を襲名し、名実共に、この流派の顔となるのです!
そして28歳、京にのぼり様々な経緯を経て「新撰組」を立ち上げ!
うん、人望と剣の腕があってこその出世街道ですね。
近藤と共に生き、亡くなった新撰組
結局近藤勇自身は33才という若さで斬首され、この世を去ります。
近藤以外もある意味舵取りをしていた新撰組ですが、記録を読んでみると、やはり近藤が
中心となって動いた時期、それが安泰と隆盛を誇っていた事は紛れも無い事実です。
さらに紐解くと、「人間的な器の大きさ」「求心力」、こういうキーワードが出てきますね。
イカツイ顔ですが、基本的には非常に優しい人物だったようです。
優しくて、恐ろしく強い。
男だったら・・着いて行きたくなりますね!